FEAR FROM THE HATE
「RETURNERS」リリースインタビュー vol.1
特に深い考えもなく、どんなレーベルにしたいかなんていうヴィジョンもなく、とりあえずやってみるか・・・というノリで、2007年8月に立ち上げたGarimpeiro Records。
当時は40タイトル近い作品をリリースするレーベルになるなんて思いもしなかったし、今や姉妹レーベルまであるっていうんだから、なんだかんだ上手いこと成長することが出来たラッキーなレーベルなんだと思う。
第一弾リリースAFTER THE SIRENS「What I Have To Give, Let It Be Enough」から、11枚目のリリースであるBUILT ON SECRETS「Reflections」までは、全てが海外アーティストの作品だった。洋楽専門レーベルを謳うつもりは当初から全く無かったので、「国内バンドの音源をリリースしてみよう」という思いが浮かんだのは完全に自然の流れであり、国内アーティスト第一弾としてGarimpeiro Recordsの仲間入りを果たしたのが、このFEAR FROM THE HATEだった。
2011年1月に、1stシングル「Paint A Trip Party」をタワーレコードと一部専門店のみに販路を絞った形でリリースし、同年8月には1stアルバム「Birthday of 12 Questions」をリリース。2タイトルとも僕らが想定していた以上のセールスを記録し、一躍東京のシーンを代表する存在にまで上り詰めた彼ら。同年年末には初の主催企画「MOSH IT LOUD FEST」を成功させ、翌年には早くもワンマンライブを開催。明らかに勢いがついてきた2012年夏に、突然のアクシデント発生~メンバー3人の脱退。その中には今年再加入したHiroも含まれていた。
脱退劇以降のFEAR FROM THE HATEが、どう活動したら良いかを常に模索し、考え、悩み、試行錯誤していたことは、端から見ていても十分に伝わってきていた。一時はバンドを終わらせることまで想定していた彼らが、2012年に脱退したHiroを再度バンドに招き入れ、活動を継続していくことを決意。「Birthday of 12 Questions」時の勢いを思い起こさせる「RETURNERS」のリリースが、12月3日に控えている。
海外のポストハードコア直系の要素、日本人の琴線をくすぐる「和」の要素を感じさせるメロディ、一単語それぞれに拘りを感じさせる歌詞、FFTHの音源史上最も多く取り入れられているエレクトロサウンド、そしてダンサブルなエッセンスを、彼らならではのセンスで昇華した今回のミニアルバム。数年前からFEAR FROM THE HATEを知っている人にも、最近知ったという人にも聴いて欲しい傑作に仕上がっている。CDリリース後からは、バンドの活動ペースを一気に加速させていくという彼らに、2012年に発生した脱退劇から現在に至るまでのあれやこれやを聞いてみた。濃密な内容のインタビューに仕上がったので、前半・後半の2回に分けたいと思う。まずはメンバー脱退から現在に至るまでについてのことをメインに、ざっくりと質問してみた。
取材・文 / 関口仁士
傍から見ると順調そうに見えていたかもしれませんが、内情はけっこうギリギリの状態でした。
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──まずは2011年に「Paint A Trip Party」~「Birthday of 12 Questions」の2タイトルをリリース。それに伴うツアーを行い、バンドも上手い事上昇気流に乗っていた中で、2012年夏にベースのHiro君、ドラムのShinya君が脱退。その暫く後にはギターのYu-Taro君(現A Ghost of Flare)の脱退も発表されたと。勢いが出てきていたタイミングでのメンバー脱退は、FFTH史上最も大きな事件だったと思うけど、この時期のバンドの状況を振り返ってみて下さい。
K : 1stアルバムを出した後バンドは勢いに乗ってきているのに、自分たちの在り方、音楽性、進むべき方向性について、何か見えない壁のようなものにずっとぶつかっていて。そんな状態でバンドが進んでいった中、次回作の話なども上がっているときに、バンドのこれからについての指針が分かれてしまったんです。傍から見ると順調そうに見えていたかもしれませんが、内情はけっこうギリギリの状態だったんです。
H : 今まで脱退の理由については触れてきませんでしたが、正直に答えると「Birthday of 12 Questions」の次回作を制作するにあたり、メンバー内で方向性が分かれてしまった事が1番の理由です。リリースツアーのファイナルだったワンマンライブ前には、既に「1961」のデモとなる曲が出来上がっていたんですが、この曲を自分が目指す「FFTH」でやるべきなのか、という葛藤が自分の中であって。新曲のプリプロを重ねていく内にその気持ちが徐々に大きくなっていって、その結果FEAR FROM THE HATEを脱退するという結論に至りました。バンドやるからには自分の好きな音楽、やりたい音楽ができなきゃ意味がないな、と。
L : 端から見れば順調に見えても、内部では色々と問題があるというのはよくある事で、ツアーも落ち着き、新譜の制作に入ろうかというタイミングで、メンバーそれぞれ、制作やその他のビジョンの違いがはっきりと分かれていた感じです。
Yu-Taro君除く2人の脱退が決まった直後はライブ活動休止という形を取ったけど、もう一度体制を立て直すべく、すぐに新しいメンバー探しに動いたので落ち込んでる暇は無かったですね。
(以下 L : Lidy、K : Kouichi、H : Hiro)
──メンバー3人の脱退劇勃発後に、ベースにSohei君、ドラムにDEATH-O氏を迎え、4人組編成バンドとして再始動。そしてミニアルバム「1961」をリリース。前作2タイトルとはまったく違ったロック色が強く押し出された作風で、賛否両論様々な意見が飛び交い、離れていったファンもいれば、新規のファンを獲得するきっかけとなった作品でもあるけど、この作品はバンドにとってどのような意味を持つ作品でしたか?
K : 「1961」という作品は、それまでのエレクトロ・スクリーモと呼ばれる音楽性から、何か少しでも自分たちの可能性を広げたくて手探りで作った作品でした。新しいものをつかめなければ前に進めないんじゃないかって感じていましたね。
ひたすら模索し続けた時期でした。まったくゼロからのスタートのように感じました。
L : 僕らの音楽の多様性を表すのに非常に重要な意味を持つ作品でした。当時の洋楽コピーのようなラウドロックとしての作品を出す事に行き詰まりを感じていて、もっと違ったアプローチも出来るって事をなんとしても示したかったんですよね。人がなんと言おうと、クリエイティヴな面で自由な発想が効かなくなった時点で、面白みというか新鮮さを出せなくなっちゃうし、自分のボーカルとしての説得力も薄れてしまう気がして。それまでのファンを裏切ったとかじゃなくて、もっと違う景色を見せてあげたかったんですよ。
結果、離れてしまった人達も確かにいたけど、新しい出会いもあったし、何よりメロディや歌詞、Kouichiのエレクトロアレンジ、展開、音楽的な振り幅が格段に広がり、新たな可能性も見えたので、出して良かったと思っています。
──昨年の秋に「Alice」、今年の1月に「Silverwalker」という2つのデジタルシングルをリリース。「1961」の世界観を消化した上で、「Birthday of 12 Questions」が放った世界観に近づいたな・・・というニュアンスを感じさせる2曲だけど、「1961」をリリースした後に、スクリーモやポストハードコアスタイルの曲調に戻した理由を教えて下さい。「1961」以降のFFTHは、もっとロック色を強めるだろうと考えたファンも多くいたと思うけど・・・。
K : 「1961」という作品は、あえてポストハードコアやスクリーモの要素を取り除いたものなんです。今までと同じことをせず、もっと新しく革新的な事を取り入れて。ただ、もちろん「1961」を作りながらもポストハードコアな楽曲も作っていたし、バンドとして芯である部分は捨てていたわけではなかったですね。
俺たちはあの作品で1つの個性を手に入れることができました。この新しい要素とFFTH本来のラウドな要素が混ざり合うことで、1stアルバムを出したあとずっと感じていた壁を壊せるんじゃないかと感じていて。それを形にしたのが「Alice」と「Silverwalker」いう楽曲なんです。
そして何よりも、ファンの方からの「またエレクトロで激しいFFTHが見たい」という純粋な気持ちを 貰ったことが何よりの起爆剤になりました。
L : 「Birthday of 12 Questions」も「1961」も、ある意味FFTHというスタイルを確立させるための作品だったんですよ。
スクリーモやポストハードコアの要素っていうのは僕にとって、ダークな世界観、苦しみや憎しみ、または「俺はこう思うんだ!」っていう主張を「叫ぶ」事によって表現する手法だから。
FEAR FROM THE HATEというバンドは、今はもう存在していなかったかもしれないんですよね。
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──今年の5月にはTriple Vision EntertainmentからリリースされたPunk Goes 90's vol.2にMarilyn Mansonのカバーで参加。そしてDANGERKIDSの来日公演サポート終了後に音源制作を発表、その直後にはSohei君の脱退発表。僕らレーベルサイドからしても青天の霹靂というか、まったく想定外な出来事だったけど、当時バンド内で何が起きていたかを教えて下さい。
K : この2年間どうするべきか、何をすべきかをずっとメンバーで話し合っていました。DEATH-Oさんがいなくなって3人になり、不安を抱えながら活動を続けていましたね。そんな中、Soheiからバンドから離れたいという意思を告げられて。ああ、ここで終わってしまうのだろうか、という気持ちになりました。3人でずっと話して、その結果バンドを終わりにしようということになって。なので、FEAR FROM THE HATEというバンドは、今はもう存在していなかったかもしれないんですよね。
L : バンドの見えない将来への不安や焦りがピークに達していた頃ですね。そういう暗い空気が流れていた頃にSoheiが脱退を決意し、これをきっかけに僕ももうここで音楽生活を終わりにしようと思いました。そうやって完全にFEAR FROM THE HATEを見捨てたはずだった。
でもどこかで諦めきれなかったんですね。その気持ちがある限りなんとかやってみようかなと。FEAR FROM THE HATEはこのまま終わっていいバンドじゃないなって。随分悩みましたけど。で、Kouichiに「続けてみようぜ」って言ったんです。そしたら「FFTHだったらやるよ」と言ってくれて。そこからは行動が早かった。
「もう代わりはアイツしか考えられないな」と速攻でHiroに電話掛けました。
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──そしてHiro君の再加入。Lidy君から「Hiroが戻ってきます!」て連絡を貰った時、思わず「え?」て言っちゃったんだけど・・・(笑)どういった経緯で一度辞めたバンドに再加入する事になったのかや、一度辞めたバンドに戻ることへの覚悟等も含め、諸々を教えていただければ。
K : 本来最後であったライブの1ヶ月前。 Lidy君から「もう一度やってみないか。今度は、Hiro と一緒」に、と告げられてめちゃめちゃ驚きました。
L : Soheiの脱退が決まって「もう代わりはアイツしか考えられないな」と速攻でHiroに電話掛けました。大阪の脱退ライブ以来一度も連絡してなかったから本当に2年振り?くらいで(笑)とにかく必死で攻め落としましたね(笑)
H : ちょうどその時期に、高校時代からのバンド仲間で、関西でも同じようにバンドをやっていた友人を亡くして、自分の人生や生き方について考えていました。バンドが出来る環境にいて、バンドをやりたいと思っている自分がバンドをやらなくて本当に良いのかって。
そんな中、Lidy君から「もう一回、FEAR FROM THE HATEで音楽をやらない?」と言う連絡があった時はビックリしました。全てのタイミングが重なって、正に運命を感じましたね。それから3人でバンドの現状や音楽に対しての考え、「エレクトロ×ポストハードコア」を軸とした今後の音楽性だったり、色々な話をお互いした上で、改めて戻ってきて欲しいと言われ、自分の中で「もう一度、FEAR FROM THE HATEで音楽をやりたい。後悔しない生き方をしたい」と言う気持ちが強くなり、FEAR FROM THE HATEへの再加入を決心しました。
──FEAR FROM THE HATEを辞めて以降、Hiro君は表だった音楽活動を一切していなかったけど、音楽への情熱は持ち続けていましたか?
H : 自分の中ではFEAR FROM THE HATEが最初で最後のバンドのつもりで、このバンド以外で音楽活動をするつもりはありませんでした。なので辞めてからのお誘いは全て断っていました。ただバンドを辞めてからもずっと作曲活動は続けてましたので完全に音楽から離れることはやはり出来ませんでした(笑)
それこそFEAR FROM THE HATEらしさに縛られることもなかったので、ポストハードコアのトレンドを取り入れた曲や、ドロップGチューニングの悪い曲(笑)、アニソンみたいな曲だったり、、、とにかくひたすら作り続けていました。何も考えずに色んなジャンルの曲を作っていた経験が、FEAR FROM THE HATEに戻ってからすごく活きてるなと感じています。
──僅か数年の間にバンド環境が目まぐるしく変化しているFEAR FROM THE HATEだけど、今回リリースされる音源は、「続・Birthday of 12 Questions」といった趣の内容に仕上がりました。やはりバンドとしては、こういうスタイルの音楽をやるのが一番気持ちが良いという結論が出たということですか?
K : もちろんです(笑)ひたすらもがき続けた2年間でしたが、その中で続けた試行錯誤は確実に形になっていると思います。新作を聴いてみれば、「RETURNERS」という作品がただの1stアルバムの延長ではないということも感じてもらえると思います。
H : 自分もこの手のスタイルの音楽が大好きだし、しっくりきてるなって思います(笑)
そして今回の2nd Mini Album「RETURNERS」の制作を通して、バンドが「1961」~「Silverwalker」を経て得たこと、自分がバンドを離れて見てきたことや得た経験等全てが、今のFEAR FROM THE HATEというバンドに活かされているなとすごく実感できました。
L : FFTHがやり続けるべき音楽スタイルなのかなと思いますね。遊園地の中で色々なアトラクションが楽しめるように、僕は「FFTH」を、ラウドロックという遊園地の中で様々な要素のアトラクションを詰め込んだ色んな楽しみ方が出来るバンドにしたいと思ってます。
それがFEAR FROM THE HATEにしか出来ないセンスだと思っているし。